色恋とひげのディレンマ

 男性にとって初めての異性がお母さんであるように、女性にとっての初めての異性はお父さんですね。幼いころ、休みの日に数ミリほど無精ひげを生やした父が娘のほっぺたにしてきたスリスリ。状況はよく覚えていませんが、あれがきっと父なりの娘とのスキンシップだったのでしょう。今思えば父と子のかわいらしくほほ笑ましい情景でした。けれども娘のほうはというと、チクチクした父の”ひげ”が痛くて……。不機嫌になりながらいつまでもヒリヒリするほっぺをさすっていたのを覚えています。このとき、初めて自分のなかで”ひげ”は父のもの(そして、痛いもの)だと認識したように記憶しています。この擦り込まれた思い出のせいなのか、今でも男性の”ひげ”にはどこか父性を感じるようになってしまいました。

 スタイルとして蓄えられた男性の”ひげ”は、凛々しい獅子のタテガミのごとく威風堂々と映りますね。クラシカルな三つ揃えのスーツを身にまとい、さらにハットとステッキが揃えば、まるで往年のハリウッド映画に出てくる紳士のように気品に満ちた出で立ちです。しかしながら、やはりどうしても”ひげ”を蓄えた男性には父的要素を感じてしまうのです。不思議なもので、たとえそれが永遠の理想の男性アラン・ドロンの”ひげ姿”でもダメなものはダメなのです。さらにあのチクチクを思い出すと「この人と情熱的な口づけをしてみたいわ……」なんて想い焦がれることもないのです。(世のおひげの男性の皆さま、ゴメンナサイ)粋な男性なのに、”ひげ”の存在のために残念ながら恋愛対象として見られないという、交錯したディレンマを胸に抱えた女の子。男性はご存じないかと思いますが、実は意外と多いのですよ。とはいえ、女の子とはとても都合のいいもので、愛しい男性の無精ひげは好きなものです。自分にしか見せないリラックスした姿にうれしくなって、ついつい触りたくなってしまう。ワンちゃんみたいに、アゴを上に向けて触らせてくれるのもかわいらしい。カミソリ負けの戦士の傷跡さえ、愛おしいのです。

 さて、何事にも例外はあるもので、こんな私でも生まれて初めて”ひげ”の男性に胸がときめくほどの色気を感じたことがあります。それは、ハリウッド映画の超大作『風と共に去りぬ』のクラーク・ゲーブルの”口ひげ”でした。主人公演じるヴィヴィアン・リーを力強くも包み込むように抱き寄せ、見つめ合う二人。その視線はどうしても愛をささやくクラーク・ゲーブルの口元に釘づけになってしまいます。そして、息が止まってしまいそうなほど熱い口づけ。あぁ、なんてうらやましい……。もしあの口元に”ひげ”がなかったら、あれほどロマンティックな絵にはならないのではないかと思うと、”ひげ”の重厚感も決してわるいものではありませんね。これから”ひげ”を蓄えようとお考えの男性がいらしたら、どうぞ愛を語るにも口づけをするにも優雅で上品なクラーク・ゲーブルの”ひげ”をお手本になさってみてください。そのときの装いは、ぜひエレガントなスーツで。

 ”ひげ”は男性の象徴であるとともに、古来から権力の象徴でもありました。たとえば、私が大学時代に専攻していた古代エジプトもそのひとつです。衛生観念が強かった古代エジプトの人々には日頃から”ひげ”を剃る習慣がありました。それは王である「ファラオ」も同様でしたが、一方でファラオは王権を強調するために公の場では”付けひげ”をしていました。かの有名な少年王「ツタンカーメン」の黄金のマスクのアゴ先についている、あの長い”付けひげ”のことです。もうおわかりでしょう。これは冥界の神オシリスの”ひげ”を模倣することで、民衆にファラオを神聖視させるためだったと考えられています。また面白いことに、ツタンカーメンより前のファラオ「ハトシェプスト女王」も女性でありながら男性王と同じように”付けひげ”をつけ、男性の姿で壁画や彫像に残されたことで知られています。このように、古代エジプトではファラオがいかに権力の象徴としての”ひげ”を重要視していたのかが伺えます。

 ”ひげ”を蓄えるのとは逆に、”ひげ”を剃るという行為は、宗教や信仰と深い関わりがあります。古代エジプト人は、死後の世界は生前の世界と何ひとつ変わりはなく、旅立った魂は生前の肉体に戻ってくると信じていました。そのため、死後の体を生前のままの姿で保存することが彼らにとって最重要だったのです。死者のミイラ作りを指揮する神官は、”ひげ”を含む体毛をすべて剃り落としていました。これから神々の元へ旅立つ死者の聖なる儀式のため、身を清めたのだと考えられています。もっと私たちの身近なところでは、仏教でも出家をするときに剃髪と合わせて”ひげ”を剃ります。これは、毛が生えることで生まれる煩悩を切り捨てるためとされています。それぞれ時代も目的も違いますが、このように俗から聖の領域へ足を踏み入れるときに”ひげ”を剃るという行為が儀式的に行われることから、何か人間の心の本質をみることができるように思うのです。

 現代では、”ひげ”を剃る行為の目的は「清潔感を保つため」というのが基本です。忙しい男性には、眠たい目をこすりながらの毎朝のシェービングはたいへん面倒で義務的な時間なのかもしれませんね。けれど、朝のシェービングこそ1日の始まりの大事な儀式だと思うのです。つまり、愛しい女性の前で見せている無精ひげの自分(俗)から、シェービングという儀式によって、社会に向かうストイックで精悍な自分(聖)に生まれ変わるということです。そう考えれば、”ひげ”を剃るという行為は男性だけに与えられたとても高尚なもののように思えてきます。”ひげ”を剃り落とすことで生まれるシンプルで清らかな心。シェービングは現代の人々にとって、オンとオフを切り替えるための神聖なルーティーンなのです。

PROFILEプロフィール

中里 彩 ー Aya Nakazatoテーラーアプレンティス

1992年生まれ。エジプト考古学者を志して、大学では考古学を専攻。一方で、メンズのテーラード服に惚れこみ、在学中から熟練の職人の元でテーラリングを学ぶ。卒業後は、ファッション業界に限らず、複数の事業を展開。縮小していく職人の手仕事を支えたいという強い思いから、現在ブランド・プロダクトのプロデュースを準備中。ファッションスタイリング、執筆活動なども開始。
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中里彩

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