親から子へ、受け継がれる

「これは、親父から譲られたものなんだよ。」
彼は、そう言いながらていねいにベルトを外すと、その想い出の腕時計をそっと私の両の手のひらに乗せました。ずっしりと重たい金無垢のラウンドケース。枯れた風合いの文字盤と繊細な針先。そして、手巻きのムーブメント。クラシカルで品があり、いくつもの時代を越えてきた風格を感じさせる素敵な時計でした。細かく見るといくつか小さなキズがあるものの、底光りしたケースの表情からは日頃よくお手入れされているのがうかがえます。彼が話してくれたのは、この腕時計に込められたお父様への想い。息子との時間を大切にしていたお父様の左手には、いつも決まってこの時計が巻かれていたのだそう。時には反発して、ケンカをして、家を出たこともあり、それを今では悔やんでいると。社会に出て、お父様からこの時計を譲り受けたときの決意や信念。そして、早すぎた永遠の別れ…。「いろいろあったけど、親父のことは今でも尊敬しているよ」やわらかな笑みを浮かべながらも、その瞳はどこか淋しくて、ちょっぴり潤んでいるようにも見えました。完璧な大人だと思っていた男性が見せてくれる繊細な一面には、ギュッと心が締めつけられるものがありますね。1本の時計が刻んできたお父様の”時間”を大切に受け継ぐ彼のメンタリティは、今でも心から尊敬しています。

 その後、私は「自分の人生の時間を刻んでくれる手巻きのアンティーク時計がほしい」と思うようになりました。ほんとに、女の子は好きな男性に影響を受けやすいものなのです。しばらくして、銀座のとあるアンティークショップである1本の時計に出会いました。1950年代に「Heustone」という、今はもう存在しないスイスの小さな工房で作られた手巻き式の時計。ケースは金無垢、ダークグリーンのクロコダイル革のベルトも当時と変わらずのままで、デザインもそのストーリーもまさに探し求めていたものでした。人生初の手巻き式時計だったので、初めはゼンマイの巻き止まりの感覚がわからず「これ以上は切れてしまうんじゃ…」とおっかなびっくりリューズを握った毎日。今となっては、あの初々しいかわいらしさがなつかしい…。普段の何気ないしぐさの中で、時折ふと手元から聴こえてくる「チッチッチッチッ」という音。自分の人生の"時"を刻んでくれていると思うととてもよろこばしく、「一歩ずつでいいから前に進もう」といつも勇気づけてくれます。さらに、時計に顔を近づけてしばらく耳を澄ませてみると、まるでお母さんのお腹の中の小さな命の鼓動を聴いているような、なにか神秘的な現象を目の当たりにした気分になるのです。時計も、人とともに生きているのですね。

 親から子へ、世代を越えて受け継がれ愛されつづける物は、その存在自体、とても美しく素晴らしいことですね。しかし、長い歴史の中でその価値を維持しつづけるのは大変むずかしいものです。たとえば、時計と同じく、昔は服も親から子へ受け継いでいくものでした。現代の職人が仕立てるスーツやジャケットに、親から子に服が受け継がれていた名残りがあるのをご存知でしょうか。ジャケットの袖口にボタンホールの穴が開けられ、ボタンの留め外しができる"本開き"という仕様があります。今ではマシンメイドの既製服が一般的であるために、ほとんどは偽の穴かがりがつけられ、袖口が開かない仕様になっていますが(これを”開きみせ”といいます)、本来は職人が穴の開いたボタンホールにハンドワークで丹念に穴かがりをしていきます。この本開きのボタンホール、仮に4ツボタンだとすると、実は穴を開けるのは3つ目までで、4つ目のボタンホールは穴の開いていない"眠り穴"という飾りをほどこす伝統がありました。では、なぜ4つ目のボタンホールを眠り穴にするのでしょうか。それは、成長した子どもにスーツやジャケットを譲る伝統があった西洋で、もし子どもが自分よりも袖丈が長くなった場合に"4つ目の眠り穴のボタンを1つ目の位置に移動する"ことで、袖丈を出して着られるようにしたためだと云われています。幸いなことに、現在でもこの美しい名残りを守りつづける仕立て職人は多く存在しているのです。

 日本の着物も同じように、子どもに合わせて裄丈と着丈を調整して、親から子へ受け継がれていきました。日本では"着物は三代着られる"と云われていたそうですね。西洋でも日本でも、昔の人々は、このように初めから親から子へ受け継いでいくことを前提に服を誂えていたのでした。しかし、ファストファッションに代表される大量生産・大量消費の現代では"物を大事にする"という昔では当たり前だった価値観が次第にかすんできてしまいました。良い物を大事に長く使い、綻んだら直してまた使いつづける。さらには、それを次世代に受け継いでもらうという感覚を、残念ながら現代の人々はほとんど持ち合わせていないようです。壊れたら、破れたら、捨ててしまえばいいと考える人が多いのです。時代の流れもあり仕方がないのかもしれませんが、それでは"本当に良いものを次世代が受け継ぐことが重要である"という価値感が養われていくことはありませんね。これは目をつむることのできない、未来に対する大きな問題なのではないでしょうか。ぜひとも世の男性には、何かを手に入れるときには「これは自分の子どもに譲れる物だろうか」という視点で、それに込められた想いや物語を大切に物を選んでほしいと心から願うばかりです。さあ、親から子へ、次世代へ、貴方はこれからどんなバトンを繋いでいきたいですか?私のバトンは、もちろん「Heustone」。愛する大事な時計です。

PROFILEプロフィール

中里 彩 ー Aya Nakazatoテーラーアプレンティス

1992年生まれ。エジプト考古学者を志して、大学では考古学を専攻。一方で、メンズのテーラード服に惚れこみ、在学中から熟練の職人の元でテーラリングを学ぶ。卒業後は、ファッション業界に限らず、複数の事業を展開。縮小していく職人の手仕事を支えたいという強い思いから、現在ブランド・プロダクトのプロデュースを準備中。ファッションスタイリング、執筆活動なども開始。
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中里彩

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