白衣を脱ぐ時

ここ半年ほど、毎週のようにお医者さんを取材させていただいている。頭痛やめまいといった身近な症状から、先天性心疾患が外科治療されない場合に起こるアイゼンメンジャー症候群など、テーマとなる病気はさまざま。最近は、白衣を着ない医師も増えていると聞いていたが、これまで私が出逢ったほとんどの医師たちは身にまとっていた。

先日お目にかかったN医師も、やはり白衣だった。取材は、教授室や応接室で1対1で行うことが多いが、この日は、大学病院内のスタッフルーム。部屋の中央にある大きなテーブル越しに、N医師と向き合う私の背後には、黙々と仕事に勤しむ秘書の女性たちがいた。

取材も後半に差し掛かった時、室内に続々と入ってくる白衣姿の医師たちの姿が。携帯片手に早口で喋る人、冗談を言い合いながら、笑っている人…一気に賑やかなムードになった。予定より取材の開始時刻が遅れたため、ランチタイムと重なってしまったのだ。聞きたいことはまだまだあったが、ただでさえ、忙しい診療の合間を縫って、時間を作っていただいたのに、休憩時間まで奪うなんて、申し訳ない。それなのに、「岸さん、お時間は大丈夫ですか?」とN医師。多分、私は見るからにソワソワしていたのだろう。大丈夫です、と伝えると、「遅れたのは、私のせいですから。今日は、お待たせして本当にごめんなさい。続けましょう」。なんて素敵な心遣いのできる方なんだろうと、心を打たれた。

かくして、無事取材終了。帰り支度をしながら、周囲を見渡すと、白衣を着ているのはN医師のみ。気づかぬうちに、他の医師たちは皆、白衣を脱いでいた。椅子に座ったまま、深く目を閉じる人、カップ麺を食べ終えて、お腹を撫でている人、窓際のキッチンでコーヒーを淹れる人。シャツの首元を緩めた方の足元にこっそり目をやると、革靴からクロックスに履き替えていらっしゃった。つい先ほどまで、白衣姿で颯爽と歩いていた方たちとは、まるで別人のようなオフモードの姿。白衣の下にある素顔を垣間見た気がして、近くに感じた。

「権威の象徴」と言われるように、白衣は、その人が何者であるかを無言で語る社会的な記号のようなものだろう。と同時に、患者にとっては、信頼や安心の証だ。白衣を着ることは、その期待に応えるためでもあるだろうし、肩にのしかかるプレッシャーをはねのけるべく、自分に気合いを入れるためでもあるのかもしれない。診察室では決して見ることのない、医師たちのくつろぐ姿に、そんなことを思った。

PROFILEプロフィール

岸 由利子 ー Yuriko Kishi著述家・画家

英国ロンドン・セントラルセントーマーチン美術大学FDM(ファッションデザイン・ウィズ・マーケティング科 学士号<Bachelor of Arts>)卒業。在学中、スーツの聖地・サヴィル・ロウ1番地「ギーブス&ホークス」で日本人女性として、約2年半に渡る異例のテーラリング修行を伝授。帰国後、ブランド「マルコマルカ」を創立し、東京コレクションにて最年少女性デザイナーとしてデビュー。ファッション界で活躍したのち、文筆業に転身。オーダースーツや腕時計などのファッション・芸術・文化などの分野で執筆する。近年の共著に「人を引きよせる天才 田中角栄」「先生が教えてくれなかった 大日本帝国」「武士道の極意に触れる流派から学ぶ日本の礎」(いずれも笠倉出版社)、スイスの高級メンズ腕時計を特集した「腕時計ライフ」(玄光社)などがある。
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岸由利子

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