男をそそる

ファッションエディターの横山理恵さんが、このウェブマガジンで連載中のコラム記事「Vol.17ニューヨーク、ビジネスマンの散髪事情」で書かれていたように、マンハッタンでは今、バーバーブームが巻き起こっているらしい。あちらでは、ウォール街の金融マンや弁護士、アートディーラーまで、あらゆる業界の第一線で活躍する男性の多くが、ヘアサロンではなく、バーバーを好んで利用しているそうだが、その影響あってのことか、ここ数年、東京でも“床屋熱”は確実に高まっているようだ。

サロン顔負けのお洒落なバーバーが続々とオープンし、感度の高い男性たちは、ヘアサロンからバーバーへといち早く鞍替えしているというし、最近では、20代から40代まで幅広い年齢層の男性たちから、「今、バーバーにハマってる」、「もうバーバーしか行かない」といった声をまわりでもよく聞く。

それほどまでに、床屋の何が男性をそそるのか。床屋というと、ヘアカットというよりは散髪、手際の良い理容師によるひげ剃り、顔剃りといった時短グルーミングのイメージが強かったし、男性の聖地と信じてやまなかったが、女性が入れるところもあると知り、つい先日、初体験してみた。

銀座の一角にある床屋は、少し落としたメロウな照明が妙に落ち着く、ダークブラウンが基調の上品な空間。カーテンで仕切る個室仕様になっていて、壁一面には大きな鏡、バーバーチェアの前には専用の洗面台がひとつ。

「髪は切ったばかりだし、剃るひげはないので、顔剃りをお願いしたい」。スタッフの人にそう伝え、施術がスタート。床屋で使うカミソリの見た目は、実にいかつい。鋭く、銀色に光る刃は、ザグザグ切れる菜切包丁のよう。じっと眺めていたら、「最高の“切れ味”を無料でご堪能いただきます」と意味深なセリフを放つジョニー・デップの姿が浮かんできた。ティム・バートン監督の「スウィーニー・トッド フリート街の悪魔の理髪師」で彼が演じた狂気の理髪師だ。(内容はご想像にお任せしたい)そんな回想とはうらはらに、ふわふわと温かい蒸しタオルで湿らせた顔の上を滑るカミソリの刃は驚くほど優しく、滑らかだった。顔剃りを終え、追加でお願いしたヘッドマッサージに入る頃には、うとうと。至福の時間を堪能した。

理容師の方によると、ひと月に1度くらいの頻度で顔剃りすると、化粧水や美容液の浸透力が格段に増すという。その効果のほどはまだ分からないが、うぶ毛や古い角質を取り除いてもらったからか、肌の色は明るく、化粧のノリも良くなった(気がする)。何より気に入ったのは、顔剃りを終えたあとの爽快感。やみつきになりそうだ。もし、これにひげ剃りが加わったら、さぞかし気持ちがいいんだろう。

男性客にとっては、ひげなど、やろうと思えば自分で手入れできる部分をあえてプロに委ねるというのも贅沢な時間だと思うが、最近の床屋では、スカルプケアやフェイストリートメント、イヤーケアなどのリラクゼーションメニューも人気が高いとか。バーバーブームは、世の男性の美意識が高まったまぎれもない証。

だが、歴史を紐解けば、それは今に始まったことではなかったりする。すでに200年以上前のイギリスでは、バーバー通いは、紳士にとって不可欠な習慣だった。その火付け役は、1805年、ロンドン・メイフェアで創業した世界最古の理髪店「トゥルフィット&ヒル」。メンズファッションの歴史に多大なる影響を残した稀代の洒落男、ボー・フランメル、オスカー・ワイルド、ウィンストン・チャーチル、アルフレッド・ヒッチコックなど、名だたる偉人たちが通った元祖・バーバーだ。日本も負けていない。今年創業200周年を迎えた「麻布 I.B.KAN」は、まだ理容師が“髪結い”と呼ばれていた文政元年に開業した日本最古の理髪店。

トゥルフィット&ヒルや麻布 I.B.KANといった老舗が、今なお人気を博していることからも、良き文化は、時代を超えて受け継がれていくものだと改めて実感した。まだ行ったことのない方、床屋で顔まわりを整えてみてはいかがだろう?顔剃りの快感を味わうために、そろそろ私も次の予約を入れようと思う。

PROFILEプロフィール

岸 由利子 ー Yuriko Kishi著述家・画家

英国ロンドン・セントラルセントーマーチン美術大学FDM(ファッションデザイン・ウィズ・マーケティング科 学士号<Bachelor of Arts>)卒業。在学中、スーツの聖地・サヴィル・ロウ1番地「ギーブス&ホークス」で日本人女性として、約2年半に渡る異例のテーラリング修行を伝授。帰国後、ブランド「マルコマルカ」を創立し、東京コレクションにて最年少女性デザイナーとしてデビュー。ファッション界で活躍したのち、文筆業に転身。オーダースーツや腕時計などのファッション・芸術・文化などの分野で執筆する。近年の共著に「人を引きよせる天才 田中角栄」「先生が教えてくれなかった 大日本帝国」「武士道の極意に触れる流派から学ぶ日本の礎」(いずれも笠倉出版社)、スイスの高級メンズ腕時計を特集した「腕時計ライフ」(玄光社)などがある。
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岸由利子

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